空気公団『ぼくらの空気公団』

ぼくらの空気公団

ぼくらの空気公団

こないだですが、住んでる町のレンタル屋さんがセールをやっておりました。そこで普段は聴かないようなアーティストさんでも聴いてみよっかな―と思い色々カゴに突っ込んでレジを通してCDを借りたんですね。で、今日ドライブがてらにそれらの借りたやつを聴いてたら信じられないほどいいのがありました。何を隠そう空気公団というグループのアルバムです。

このアルバムの二曲目、『旅をしませんか』がカーステから流れてきたときぶっ飛びました。何でってまんま声を始めとして荒井由実*1なんだもん。あの控えめながらも自分には無い何かをひたすら恋焦がれているような声に、かすかな音だけれどもれどもそれに負けないぐらいに広い世界を音によって作り出そうとしている思いを通じます。

私はユーミンに関してはかなり好きな方なんだけれども一番すきなのは『昨晩お会いしましょう』ですというぐらいのミーハーです。そして松任谷由実時代のバブル期の人々にウケたような音楽性に親密感を覚える派としては、荒井由実時代もいいけどゴージャス感をもって俺らをもっとトばしてくれてもいいんじゃない?と思っていつつも曲として一番好きな”A Happy New Year ”は荒井由実時代に通じる侘びさえ感じさせる曲だったよなーと空気公団を聴いて思い返してしまいました。

さてこの空気公団というバンド、聴いていて荒井由実まんまだよなーと思う所もありますが不思議と「じゃ荒井由実聴けばいいや」という気持ちにはなりません。むしろそのままでももっと聴きたい、ずっと聴いていたい、早くこの人たちのライブに行きたいという気持ちがはやってきます。

このバンドはサウンドもそうなんですが、歌詞について特段大きいことを歌っている訳ではありません。神話的な物語や愛するキミとの壮大なラブストーリーを紡いでいるわけではなく、むしろ日々の繊細な情感や「ちょっと旅に出たい」との思いを主に歌っている訳です。これはこれでバックサウンドも相まって「オシャレ系」と言われてしまう危険性すらあるのですが、しかし小さな声の中にも切々とした感情が込められているのが素晴らしいと思います!未だにミーハー心から抜け出せずに音楽聴いてる自分の数少ない基準に、ソウルのない音楽は聴かん!というのがあります。ソウルミュージックに近くない音楽は聴かないとかそういうのでは決してなくて、思いや感情が込められている音楽を聴きたい、ということです。ジャズだろうがポストロックだろうが、音楽が自分から積極的に聴きに行くほど意味のあるものとしてあるためにはそれ位ないだろうとだめだろう、それがなきゃ3000円払う気にはなれんと少ない経験上からそう思っております。

そしてそれをいうなら、空気公団は体裁上はすました音楽をやっていようとも聴いているこちらの心を30センチ上にフッと浮かせてしまうような、日々の思いをすくいあげてそれを同じ思いを抱いている人が確実にいると痛感させてくれる、マジカルな瞬間を体感させてくれる十分基準を超えるバンドです。それは音楽に関わるほぼすべての人が望むものでありながらその領域にアクセスしうるのはほんの一握り。そしてそこにいるのがユーミンであり今の空気公団であるといえるでしょう。些細なことを題材にしそこから永遠を感じさせてくれる、まるで悪い魔術師の魔法に引っかかって、孤独でありながら豊かな感情に溢れた場所に来てしまったような感触を受けます。こういう経験が出来ると、音楽聴いてて良かったなーと思いますね。

60・70年代の4畳半フォーク、80年代のニューミュージック、90年代の文系ロック、ゼロ年代のポストロックなどの各時代の音楽と共振している、というか音楽の本質というべきものひいては人の本質というものがたいして変わってはいない、そしてこれからもずっとそうなんだろうなーということを思わせてくれる素晴らしいグループです。


「僕には何にもないよ だからどこへでも行けるのさ」という歌詞が今の自分にはとても重い。

*1:ここで「松任谷由実なんじゃないの?」と思った人、『ひこうき雲』を百回聴きましょう