5/10 TELEVISON@下北沢GARDEN

クールネスを、もっともっとクールネスを!
70年代NYパンクの雄、テレヴィジョンが来日するということでしたので、職場の先輩と一緒に参加してまいりました。

当日の会場はほぼ満員といった状態。テレヴィジョンのみならず日本のオルタナシューゲイザー史を語る上で欠かせないバンドdipの客演もあるということで会場の熱気もなかなかのものでした。初めての下北沢でしたが、やはり街全体でバンド音楽への愛情があるのでしょうね。

GSの音楽性云々以前に音量が大きすぎて正直キツかったザ・シャロウズ、ミニマルな音の構築のもと、必要最小限の動きでスマートに、しかし確かな演奏力で重戦車の如く場の空気を動かしていくdipの後にいよいよテレヴィジョンの時間。開始SEでは、チベット音楽を思わせるガムランが音数を極少なめにして、長い時間流れていました。一曲目は"VENUS"。名盤として名高い1stからロックで活きのいい曲を、そのまま老いを感じさせない切れの良さで演奏してくれ、期待が高まります。

しかしその後は、あまり知らない曲(恐らく3rdの曲)やインプロを中心とした、極度と言っていいほど禁欲的な世界に突入。トム・ヴァ―レインのボーカルとギターも言葉少なめで、時折瞑想するかのようにステージ上でじっとしている姿が目につきました。かつてNYパンクの聖地CBGBで、ラモーンズパティ・スミス・グループらと共に演奏を行っていたという事実が信じられないほど、世間一般でのパンクのものとは正反対の緊張感に満ちた音像がそこにはありました。

十年近くロックを中心とした洋楽を聴いている自分からすると、音楽の中で一際重要なのはそれを用いて感情を吐露することだと思っている。言葉にしてしまうとうまく伝わらないことを、大音量のギターetcという過剰な言語行為により伝えきってしまうことができる。ジミーペイジのギターが鳴る瞬間、カートコバーンのギターがサビに向け爆音になる瞬間、イースタンユース吉野寿が感情の果てに涙も枯れきったかのようなソロを引き始めた瞬間…そんな感情の発露にこそ、考えや文化を超えて万人に感情が届いてしまうかのようなマジカルな瞬間が発生するし、至上の価値があるんだと思う。そしてパンクといえば、若者の”怒り”を媒体にしているためその音楽性が露骨に出ている形態の一つといっても過言ではない。

しかしテレヴィジョンのライブは、そんなパンク、引いてはロックの感情移入の形式とは対極にあり、ステージ上では感情に流されることを固く禁じているかのような印象を受けました。その結果、解放をテーマにするパンク音楽とは反対の、緊張感に満ちた音空間を体感することに。かつてワイアーというポストパンクバンドは”ロックでなければ何でもいい”と言い放ち、既存のロックに反抗する意思を示しましたが、テレビジョンもその流れの一部、というよりもそういったアティチュードのそもそもの源流なのではないか、と感じました。安易にディストーションをかけないギター、遅々としているビートは私達が思い浮かべるパンクとは異なるものでしょう。しかし破壊とは正反対に見えるそのストイックなスタンスが一転するととてもパンクだとも言えます。ステージ上で即興の曲を取り仕切るトム・ヴァ―レインは自らの芸術に遵ずる人間に見えました。クールネスをもって表現する姿勢は、ソニック・ユースはじめ今でも多くのバンドに受け継がれているな、と身をもって実感できたのが今回の収穫でした。

本編ラストの曲は"Marquee Moon"。この曲だけは情感を感じさせる名曲であっただけに、これで終わりにしても良さそうなものでしたが、アンコールにも二度応じて、ちゃんとリハーサルができているのかすら怪しい曲を演奏していました(笑)。彼ららしいといえば彼ららしく、老境になっても求道者精神を失うことなくバンドの求めるものを先鋭化させる姿勢は見習いたいばかり。


いや、でも若いころは結構爆音でやってたんじゃないか!?とも思うんですけどね。