長谷川町蔵・大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』

・レッツ・ヒップホップ・アゲイン!

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

市の図書館にて貸出されていたので即借りました。前から読みたかった本だったので手に取った時の喜びもひとしおでしたが、読んでみるととても面白い本でした。わかりやすく解釈されて90年代からやっと流通するようになった日本のヒップホップとはまた違い、本国アメリカのヒップホップ文化がどのように受け入れられてきたのか、そしてどのように発展していったのかを一筋の線で説明するものであるため、自分がこれまで培ってきたヒップホップ観が本国のソレとは異なるものであったことを思い知らされる本です。

本の当初で示される,大和田氏の二人のゼミ生の特徴が象徴的です。片方はちゃんとヒップホップを音自体を含めて研究して体得し、自分なりの体系を持っているいわば「真面目な」ヒップホップ好き。しかし帰国子女であるもう一方の学生は,講師である大和田氏に「あのラッパーが誰をdisった」「誰と誰がビーフを始めた」というゴシップを逐一メールし、人間関係ばかりにフォーカスして音なんか聴いちゃいない(と思われる)学生。私達日本でいう「リスナー」という語義を鑑みるに、ヒップホップというジャンルに対して誠実であるのは前者の学生のみのようにみえます。

しかしながら大和田氏によれば,後者の学生のヒップホップへの接し方も「ある意味正しい」とされます。そしてここが本著で展開される氏の主張の導入部分でありそしてほぼ核心部分のこれ以上ない典型事例であると、本作を全体を通して読むと理解できるでしょう。

地味にショックだったのは、本書におけるパブリック・エネミーの評価です。私はてっきりPEこそ正統派ラップだし、「二人組のラップグループは片方正統派でもう片方はおちゃらけで場をかき乱す」というイメージを作りあげてしまったくらいその功績は絶大なものと認識していたのですが、しかしながら、プロデューサーチームの作るパブリック・エネミーサウンドはサンプリングを重ねすぎていて重厚過ぎ、当時のラジオにかからなかった(ラジオでは他の曲とうまく混ざる曲が好まれてかけられていた)ため、名盤と呼ばれる2nd発表後すぐに失速した―そして他のグループとは違いアルバムを通して聴かせる作品を作る志向であったため、ヒップホップ史では異端とされるということです。へー。

さて、最後の部分で、「ヒップホップは『ダメな自分』をさらけ出すことが苦手」とされています。いわばヒップホップは場の空気を的確に読む音楽であり、場に対して表現者が何ができるかがシビアに問われる音楽であり、そして場に支持されることのみでその価値を見出す音楽です。

ここが一番違和感を感じた部分でした。というのも,私自身インディーロック好き、あるいはアートロックリスナーとして音楽に触れていく中でヒップホップに途中寄り道することもあったわけですが、そこで消費することになったのが、アウトキャストやNERD、そしてエミネムらメインストリームのものです。しかしながらそれよりも没頭して聴いたのは、エレクトロニカ関連でアンチコン一派、日本でいえば降神など文系と呼ばれるアーティストたちでした。

で、この人たち,内省がとても上手だと思うんです。ヒップホップは「場」のための表現であり「個」としての表現は苦手とのことですが、私が接してきたヒップホップのアーティストは、むしろこのジャンルの形式を利用してとてもエゴイスティックな自己表現をしていると感じました。そのため親近感を覚えましたし、ロックファンだった自分からみると表現の形式としてとても親しみやすいものでした。その感覚はつい先日お台場船の科学館で観たWhy?のライブでも再確認できたものです。そしてギャングスタ・ラップとその内省的アーティストの中間地点にいるのがカニエ・ウエストというイメージだったんですがどうでしょう。「ヒップホップのビートに影響を受けた」というエレクトロニカ畑の人は多かったと思うんですが、内省的な音世界作りのために繰り返しのビートを用いる、というのはかなり捻くれた表現形式だったのかも。ドクタードレーのトラックメイキング方法が、バンドに生演奏をさせて良いところをつまみだしループさせて曲にするというもので音響系のトータスの編み出した手法に近いというのも印象的でした。


エミネムと"THE SOURCE"誌の論争なんか高校時代のロック誌の片隅に書いてあるのを実際に見ていたりしてて、自分のリアルタイムの片側ではこんなことが起こっていたのかーと思いとても懐かしくなりました。自分の知らないところで一つ歴史が積み重なっていたんだなーと思うととても感慨深いものです。そのような音楽史の一つの文脈を私たち読者にひも解いてくれる、スリリングかつ挑戦的な本でした。


というわけでとってつけたような形になってしまいますが、RIP アダム・ヤウク.