伊藤計劃『虐殺器官』

・いかに言語は私たちの生活をドライヴさせるか

ぜいぜい社会人2年目をやっております。何だか後出しジャンケンで負けさせられ続けているかのような毎日ですが尊厳を捨てずに頑張っていきたいところです。・゚・(ノД`;)・゚・

さて、『虐殺器官』読みました。

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

少し前にだいぶ評判となった小説のようで。なんちゃってSF好き自称してるわけだし一応読んでおこうかなーというぐらいの思いで読んだらこれが素晴らしいものでした。この本の1ページでも俺は書けるだろうか…?と思ってしまう本に出会えるのは良いことですね。特にこの人の言語に関する考え方は、個人的にとても馴染みやすくて好感を覚えました。

舞台は近未来の世界*1。人の全ての行動がIDで管理されている社会で、戦争も高度な情報戦と化していた。アメリカの情報群i分隊所属のクラヴィス・シェパード大尉は、世界各地の政府に取り入りその国の内部で虐殺を引き起こしているジョン・ポールなる人物の暗殺指令を受ける。果たして彼を倒すことはできるのか、そしてジョン・ポールはどのように虐殺を引き起こしているのか、というお話。

とにかく1ページの情報量が圧倒的です。膨大な軍事知識と想像力を元に描かれる何十年先の戦争の風景。空を高速で飛ぶ「空飛ぶ海苔」、空からのダイビング着地の際に衝撃を和らげるために用いられる下半身用の巨大な疑似筋肉、後頭部に貼りつけることで相手を自由に動かすことができるシリー・ウォーク・デバイス等突飛なガジェットが戦場を駆け巡るところは、メタルギアソリッドシリーズや攻殻機動隊等の画と共通したイメージを持つものです。情報を詰め込むために現実を圧縮したかのような空間描写は、デジタルチックな独特の読書感を私たち読者に与えてくれます。

さて、この物語では主人公は自分の意識が肥大したかのような語り部となっています。そして最前線で戦う軍人でありながら哲学・文学・映画等の知識に長けたキャラクターであるわけですが、中でも言語に関する主人公の思想が特徴的で、その後の展開を支えるものとして機能しています。

たしかにぼくはことばが好きだった。ことばが持つ力が好きだった。ことばが人を変化させるのが、不気味で面白くてしょうがなかった。ことばによって怒る人、ことばによって泣き出す人、ことばが人間の感情を、行動を左右し、ときに支配すらしてしまうのが興味深かった。(中略)ぼくにはことばが、人と人とのあいだに漂う関係性の網ではなく、人を規定し、人を拘束する実体として見えていた。

ジョン・ポールが行っている「虐殺」の説明のシーンのすぐ後に、言語学者である彼の愛人との「器官」としての言語のやりとりがつながっていく時点でだいぶネタバレをしてしまいそうなものですが、つまり言語が人間の生き方を左右してしまっているというわけ。愛人との会話で思考は言語抜きには行われないものなのではといってソシュール的な思想を披歴したり、人間における言語の獲得を周りの人間から言葉を学習していくいわば後天的なものだと主張するあたり、その思想の是非は置いても鋭い考えを持つキャラクターだなと思わせられます。そしてその思想は主人公の軍人としての行動とも密接にリンクしています。つまり、軍の命令で暗殺を行う際にカウンセリングを受けることで、作戦遂行時の精神に発生する倫理的ノイズを抑えるということを日常的に行っている主人公はどこか他律的で、自分の意志を二の次三の次に据えた行動をとりがちな人物に見えます。これは文学的素養による冷静な観点の要素も大きいのですが、それ以前に主人公の過去のトラウマが一番の原因となっています。また、言語の「意味」の領域とは別のレイヤー「文法」によって人々は動かされる*2というジョン・ポールが言ったその次のシーケンスで、痛みの感覚を認識はできるが知覚できない状態にされられる兵士の描写が続くなど、理論と実践のそれぞれの分野で共通するイメージを持たせることで物語の世界を広げています。最前線の戦場でギリギリの状態になることで晒される人間の本質と、思想によりさらに深く分析される人間存在。その軍事ものとしての部分と思想の部分をうまくクロスさせる手法が高度で面白いのが本作の一番の見どころではないでしょうか。

ラスト、後書きでも言及されているように、主人公と悪玉ジョン・ポールは『地獄の黙示録』のマーティン・シーンマーロン・ブランドと全く同じ役回りをすることになります。自分が愛するものを守るために、それに攻撃が加えられる前に相手の内部で内紛を引き起こすジョン・ポールと、彼の思想に共感を覚えつつも自らの正義感により彼に反抗しようとする主人公。最終的に主人公は最後の戦いを生き延びることになりますが、その後の主人公の振る舞いはジョン・ポールのとってきた言動を辿るものとなっています。映画においては『父親殺し』のイメージが常に想定されるということがよく主張されますが、ビッグ・ブラザー的に権威を振りかざす支配者をオイディプス・コンプレックスよろしく打ち倒すことに成功したとしても、今度は自らがその支配者じみた行動をとらざるを得なくなってしまう。反権威主義者ほどいざ権力を得た瞬間に権威主義者として振る舞うとはよく言ったものですが、かといってそのスパイラルから逃れ出た先に何か答えがあるわけでもない。そしてそんな閉塞感に満ちた事実は呪詛のように私たちの生にまとわりついている―この小説は、膨大な知識量から来る冷めた眼差しからの地平を如実に表しています。

真っ先にこの物語との関係性を思いついた本。多分作者も読んでいるのでは。

*1:2020年代と言われるが、物語中で明記はされていない

*2:ウィトゲンシュタインの前期と後期の思想の対立を、意味に固執する主人公と文法が先立っていると言うジョン・ポールが担っているように感じた。