伊藤計劃『メタルギアソリッド ガンズオブザパトリオット』

・そうだったのかメタルギアソリッド

ゴールデンウィークでございますね。私も実家に帰って「地元で会う友達いないの?」と親に言われながら、引きこもりつつ読書に映画にランニングにと忙しくも充実した時間を過ごしております。ツイッターで同期が仕事やってるのを見ながら過ごすと、ニート時代がフラッシュバックするものです。

さて、前のエントリで『虐殺器官』の感想をアップさせていただきましたが、それ以降伊藤計劃に嵌っていて、著作を立て続けに読まさせていただきました。『虐殺器官』でうぉーと思い、『ハーモニー』でうーん…と思い、『The indifference engine』でやっぱりかなり好きだなーと思わせてくれました。

そして、かの有名なゲームの伊藤計劃氏によるノベライズ化である、『メタルギアソリッド ガンズオブパトリオット』を読み終えたところです。

上述のとおり、これまで一通り伊藤氏の作品を読んで自分に合ったり合わなかったりするなーと思っていたのですが、今作はとてもよかったです。プレステ3で発表された当時批判も多かった本作品ですが、こうして活字で読むといやこれ世紀の大傑作だろ…と思わざるをえません。また、当方一応はこのゲームをクリアしている身なのですが、イマイチ理解し切れてなくて結果飛ばしてしまっていた部分がありました。しかし作者の今シリーズへの深い理解と知識に裏打ちされた文章で、ああそういうことだったのか、と腑に落ちた場面も多かったです。

小説という限定されたメディアでこの物語を読むと、本当に物語は唯一無二だなと感じさせてくれます。とにかく伝説の傭兵ビッグボスのクローンとして生まれたソリッドスネークというキャラがいる世界が本当に確立してしまっている。そのために用いられる知識も膨大で、過去の国際情勢から現在の最新テクノロジーをふんだんに圧縮した世界観は唯一無二のものがありました。『虐殺器官』はメタルギアシリーズとイメージを同一にするものだと書きましたが、伊藤氏が小島秀夫監督の熱心なファンかつ忠実な弟子だったんだなと確実に思わせてくれます。ノベライズにあたっての改変も多い*1はずなのにゲームのビジョンと文章から想起されるものが一致しています。


さて、ゲームとしての『メタルギアソリッド4』がつまらなかった理由は主に二つあります。


(1)ゲームなのにCG等を駆使したムービーが多く、ユーザーの参加を認めない、いわゆる「ムービーゲー」となってしまっていた。

(2)人物の行動の動機が読めない。何故なら以下の理由。
  (a)そもそも物語が複雑すぎて何をやってんだかわかりづらい
  (b)「やらねばならないことがある」とかいうセリフに象徴されるような大義が仰々しく感じられてしまい、人物に入り込めない。
 

以上二点が、『4』をやっていて自分がキツかったし、世間でも結構言われてる部分だと認識していました。

で、この二点は小説化されることでどう変わったかというと、すべて問題としてはクリアされてしまったと言えると思います。具体的には、

(1)ゲームとしての媒体においては、ユーザーが「操作する」感覚が重要視されるものであり、そこにおいて物語へ「参加」することがメディアとしての重大な要素を占めているため映像はあくまで二次的なものに過ぎない。ゲームというメディア上において映画をやっちゃったために面白くなさが浮き彫りになってしまった。*2
 しかし小説においてはそもそも読者が没頭できるような文章の世界を広げることが求められる。今回は物語のみを抽出して展開し、かつ過去作のストーリーや場面での背景*3などを丁寧に解説してくれるおかげで、自分のようなヘッポコファンでも大体の概要を掴むことができた。
(2)(a)上記のとおり複雑な物語を一から説明しなおしてくれるため、飲み込むのに体力が必要とはされるがそれでも理解できない範疇ではなくなっている。また、途中で途切れたために「あれ、これなんだったったっけ…ああそうだった」というような記憶の断絶がゲームよりかは少なかった気がする。
   (b)人物の行動の動機はすごく分かりやすい。今回語り部となっているオタコン自身が自分の感情を描写してくれるため、何故あそこであんな愚痴を言ってしまったのか、等が理解しやすい。また、その他の人物についても自身の経験から詳細に語る体裁をとっていて、結果それぞれの人物の行動がすごく合理的に見える。世界を救うと言って物語を動かす人物たちの行動がそれなりに理由づけされたものであることが分かり、全体の流れが把握しやすい。

という風な幸運なマッチングが小説では起こっています。一番嬉しかったのはやはり、何故あんなことをしているのか、という感情の理由が示されていて、ゲームではやや空虚に響いていた「やらねばならないことがある」というセリフがここでは、実感を持って伝わってきたこと。また、オタコンがノーマッド内でもうダメだと自身の心情を吐露する場面があったのですが、あれはゲームではやや唐突な感じがしていましたが、小説ではもうバッチリ。オタコン悲劇の男過ぎマジかわいそうや…と半泣きにさせられる部分もちらほらありました。


物語としては、ゲームで体験した時以上に”贖罪”としての面が強いと思いました。戦場で数々の人間を手にかけ、また自分に関わった人間を次々に巻き込んでしまうスネーク。核兵器であるメタルギアの開発に手を染めて以来その罪の意識からスネークと行動を共にしているオタコン、世界を支配しようとするリキッドに手を貸すナオミ、そして世界を終わりのない戦いの渦に巻き込むきっかけを作ってしまったビッグボスとゼロ。彼らは皆自らの意志にかつては悩まされ、そして現在その罪滅ぼしとしての戦いを行っている。

人間は、自分が大きな過ちを起こしてしまった際「何故あんなことをしてしまったのか」と過去を顧みるものですが、そこで問題になるのがそう行動を起こすよう命じた「私」という自分の意識です。社会の倫理規範から外れるような行動こそをするべきだと信じてしまった意志は果たしてどこからくるのか。そのような倫理的問題から存在論へと思想の興味を移していく人は一定数いるんじゃないでしょうか。その自己愛にまみれた「私」のどうしようもなさを痛感した時に、人は自分をなき者にして運命やら役割やらを引き受けるようになるのだと思います。そして「私」はどこから来たのか、という問いに対しての答えとなるのが、先祖から受け継いだ「遺伝子」であり、また他者が語り継いだ「物語」であるということ。私達読者は、シリーズを通じて語られていたそれらの思想がついに結実する瞬間を目にすることになります。

この物語に出てくるキャラクターたちはそれぞれ自分の役目を果たそうとして行動し、結果的に全てを振り出しに戻しました。最初の世界を創った『愛国者達』も自分たちの信じる世界を創ろうという意志のもとに確固たるシステムを創り上げたことを考えると、主人公達が行ったことも将来また覆されたりするのでしょう。もしかしたら人生なんてただの徒労でしかないのかもしれないですね。

*1:悪趣味としか感じられなかったビューティ&ビースト達との戦いを全カットしたことには個人的には大賛成

*2:この辺、インタビューで小島監督自身が発言していたのを目にしたんだけどなー。

*3:ビッグママと会う場面での教会の描写などはハッとさせられた