フランツ・カフカ『変身』(原田義人訳,1960)

・ある朝,目覚めたら俺は社会人だった。

春爛漫の候、如何お過ごしでしょうか。こちらは例の如くバッタバッタバッタバッタしております。こんなんで社会人2年目やってよいのでしょうか…と思わずにいられませんが死なない程度に仕事をこなしていきたいものですね。

さて、私はipod touchをかれこれ一年近く持っているのですが、マカーと呼ばれる人ほどにヘビーには使用できていません。そのため、アプリを多く入れているわけでもありませんが、しかしそのなかでも『i文庫S』は350円で青空文庫読み放題ということで、愛用させていただいております。この青空文庫で読んだ本がスゴい!という企画を一人ゴチる毎日です。目指せ似非文学青年脱却。

というわけで、フランツ・カフカ『変身』読みました。

世界文学大系〈第58〉カフカ (1960年)

世界文学大系〈第58〉カフカ (1960年)

言わずと知れたチェコの文豪であり、ポストモダニズムの旗手だったとも評される文学者ですが、私自身は今回初めて触れる作家でした。この中編は口語体が自然体なのもあってかとても読みやすかったです。

セールスマンであったグレゴールザムザはある日目覚めると、自分が巨大な毒虫になってしまっていることに気が付いた。それからというもの家族は自分を外に出さないようにし、ひたすら自分たちに降りかかった災難を悲しむ。そしてついには、朽ち果てていくグレゴールザムザを放って家族は家を捨ててしまう。グレゴールザムザが衰弱死していく中、家族は旅の途中で幸福に満ちた新しい生活に胸躍らせる…というお話。

それまでセールスの仕事で家族を支えていたにも関わらず、毒虫になってしまったことで家族の中でないがしろにされてしまう主人公の様子に、「うわーこれはやばい」と臨場感たっぷりにいやーな感じを覚えた私はもうばっちり引きこもり体質ですね。あと終わり方はちょっとコーエン兄弟『ファーゴ』っぽくて好きでした。

さて、ここで身内のことを話すようで恐縮なのですが、私の職場でも人事異動がありました。それまで世話になっていた係長がさらに過酷な現場に向かい、そして新しくこちらに来た人は右も左も分からぬ場所で毎日必死、という現場を今私は目にしております*1。そんな私の周りの人たち皆に共通しているのは、「与えられた役割を必死にこなそうとしている」ということです。

現代における変身とは何なのか?朝起きたら巨大な毒虫に成り果てているという激烈な体験はありえないにしても、一つ言えるのは、この社会には、生存のために自らの意志を曲げ、社会にフィットして生きていかねばならないという重力が存在するということです。某昭和の俳優が、ある映画の撮影で馬に乗ることを求められた際に「乗馬の経験がないので乗ることができない」と言ったところ、監督から「役者じゃないなお前は」と言われ、それから様々な役に果敢に挑戦するようになったというエピソードが私の心に残っております。

そしてこれは役者という特殊な職業に限ったことではないようです。同じようなテーマで、たまたま内田樹先生が、最小の努力で最大の効果を得ようとする「消費者マインド」の若者をdisった文章を新聞に投稿していたので引用してみます。

すでに自分が持っている能力や知識を高い交換比率で換金したい、と。そういう人は、自分が労働を通じて変化し成熟するということを考えていません。でも、「その仕事を通じて成長し、別人になる」ということを求めない人のためのキャリアパスは存在しないのです。 朝日新聞 2012/4/8, p.28『仕事力』 

自分が仕事をコントロールするのではなく、仕事に合わせて自分を変化させていかなければ未来はないという論です。ここには、自らが属することになった組織への信頼を前提としているように感じます。教育というものの中の本質部分に至上の信頼を置く、内田先生らしい主張です。*2

つまりそのような振る舞いを身につけることで、人は社会の一員として認められるようになり、集団の中で生きていくための資本(金)を与えられるというわけです。


誰もがデニーロになれるわけではないこの世の中で、それでもなお社会は個人に変革を苛烈に求めてきます。その要求に耐え抜くことができるのか、その果てに最終的には我々は何ものかになれるのか。それは、自分の意志以上に社会を信頼して行動するしかありません。過去の先人たちもそのようであったという言説を信じて。

この社会において希望とは、人生の最期に虫ケラの如く死ななくて済む、ということであるかもしれません。しかしそのためにはどうしたらよいか、ということについては、未だに誰も答えを持ってはいません。変身という社会への順応の果てに何があるのか。もしかしたら、自ら進むべきだと直感した道は、あなたを完膚なきまでに変形させてしまうかもしれない。それでも何かが大切なものが残るだろうか?


「朝起きたら顔だけが鏡の前に現れた(中略)気にしないさ,俺は狂気の中にいる」これを聴く度、俺の心、バーンナップ。

*1:エラそうに上から目線で書いてるけど、当然私も必死ですよ…

*2:出だしの一部はブログで公開されていらっしゃいますね。→http://blog.tatsuru.com/2012/04/02_1306.php