荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』

荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 (集英社新書)

荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 (集英社新書)

荒木先生が、自身が偏愛するホラー映画について語る本が出た!ということで有無を言わさず購入。「でも先生本業は漫画家だし初戦は片手間でできた程度の本になっちゃってるのかもしれないなー」とうすうす思っていたのですが、これが嬉しい大外れ。こんなに面白い本は久しく見たことがない!という一冊でした。

冒頭を読むなり、普通ならヒューマンムービーととるべき『プレシャス』を「ホラー映画」と定義づける氏の論が展開され、その時点で「この本ただものではない…」と感じます。しかし同時に、「人間はここまで不幸になりうるということを、怖いもの見たさで観に行ってもいい」という説得力のある意見が展開されるのを見ると、もうこの時点で勝敗は決まっていたんじゃないかという気すらします。

圧巻なのは、ホラー映画を「教育に最適」と主張する場面です。

世界のそういう醜い汚い部分をあらかじめ誇張された形で、しかも自分は安全な席に身を置いて見ることができるのがホラー映画だと僕は言いたいのです(中略)だから少年少女が人生の醜い面、世界の汚い面に向き合うための予行演習として、これ以上の素材があるかと言えば絶対にありません。

もうホラー映画を取り扱っている配給会社は先生にお中元でも贈った方がいいんじゃないでしょうか。サカキバラ事件以降、子供に悪影響を及ぼすと決めつけられたホラー映画に対してここまでの追い風はないと思います。とにかく知的。

また、この人は本当に芸術家肌だな、と痛感させられるのは、イタリア式死生観について語っている場面です。スプラッター映画に際して、「プラスティネーション」という、人体をスライスにして標本にする行為について語っていてジョジョフリークの方ならば思うところがあると思いますが、その上に何故そういった行為に惹かれるのかについて、「人間の肉体をあり得ないように変形させて描くのは、そう描くことが逆に生命を描くことにつながる」「生と死の限界を突き抜けていこうとする情熱をそこに感じる」と説明します。これを見て自分はダヴィンチが人間の体を描くに際して、実際の人間の死体の解剖に勤しんだことなどを想起しました。まさかジョジョ立ちにそのような思想があったとは。

また、この本が一番素晴らしいのは、その作品を語ることで、読者にも「何か面白そうだから俺もそれ観てみよう」と思わせることができているというところです。宇多丸氏なんかもそうですが、自分の好きなものをいかにして魅力的に人に伝えるかというのは、正直才能によるところが大きいです。作品への熱意と伝達の技術、その二つが両立していなければこういう面白い文章は書けませんね。

荒木先生の漫画がここまで広くの人に評価され、また息長く支持され続けている所以は、ひとえに漫画の中に少年誌では少々厳しいようなエグみがあるからではないでしょうか。主人公達が対峙する「悪」も迫真を持って襲ってきたり、あるいはこちらとも相つうじるような思想をもっているからこそキャラクター達との戦いにも緊張感が生まれる。そしてそれを乗り越えた時の快感はひとしおではないからこそ荒木漫画は面白いのだと思います。サム・ライミ(『死霊のはらわた』監督)がインタビューで「残酷さは一種の誠実さの表れなんだ」と語っていたのを覚えていますが、それに通じるような、死を正面から見つめた上で昇華しようとする誠実さをこの本からは感じることができます。

飄々しつつも説得力ある口調で映画の良さを語るやり方は見事としか思えません。おそらくこれを読んで、ホラー映画って苦手だけど面白そうだからちょっと見てみようかなと思う読者は少なくないはずです。ジョジョファンはもちろんのこと、映画ファンやひいては何か面白いものが読みたいと思う人など、とにかくいろんな人に読んでみて欲しい本です。

アウターゾーン 1 (集英社文庫(コミック版))

アウターゾーン 1 (集英社文庫(コミック版))

自分の幼少期に実家に置いてあったのを思い出して、最近集めて読んでいる漫画。というか『ペット・セメタリー』の物語の説明を読んで、「まんまアウターゾーンに同じ話があるぞ!」とテンションがあがりました。そういえばこの作者も『ゾンビ』や『サンガリア』について語っていたのを後書きかなんかでみた記憶があります。同時期に連載していたわけだし交流があったのかも。あったらいいなぁ。