ドストエフスキー『地下室の手記』

お久しぶりでございます。震災で大変なことになってしまいましたね。皆さんがご無事でありますように。

震災が起きても日常は続く、という訳で揺れによる家財の倒壊など身辺を整理し終わった後、心身を落ち着けるためにも読書をしておりました。

そういえば自分で勝手に三月をドストエフスキー強化月間としていたのを忘れていたのですが、これまで長編を連続して読んできたので少しインターバルを置こうと思い(ドストエフスキーにしては)短編なものを読もうとしてたまたま店にあった『地下室の手記』を読んでみました。

地下室の手記(光文社古典新訳文庫)

地下室の手記(光文社古典新訳文庫)

とても面白かったです!分量はそこまで無いにせよ、ドストエフスキーの思想のエッセンスが短い本の中に詰められておりかつ無駄な脱線がないシンプルな物語でしたので理解しやすいものだったと思います。ドストエフスキーを初心者に薦めるならまずこれでも良いかもしれません。*1

全体を通してロシアの四十代の地方役人がいかにして陰険な自意識を持つようになったかが説明されるのですが、第一部では彼の思想がくどくどと語られ、第二部では主に折り合いの悪い友人に復讐してやろうとして惨めに失敗したのちある情婦と出会うエピソードがつづられています。とにかく主人公の器が小さく行動も裏目に出てしまっているさまは自らの過去の経験を思いださされてきついものがありますね。

一番印象深かったのが、理性と真理の法則に従って行動することへの批判が描かれている場面。そうした法則を信じる者は本物の正常な人間が得られる利益を言葉巧みに説くことになるが、しかしそうした人々はそれ以上にある利益を計算し損なっている、と言います。彼らの論に従うならば、ピアノのキーかオルガンの音栓(ストップ)に過ぎない人間があたかも自然法則に従うが如くに善意を行うようになり、いよいよユートピアが建設される、ということになる。しかし人間は理性よりも自分の望み通りに行動することを望むものであり、そういった自分自身の利益にもならない事すらありうる欲求こそあらゆる理論や体系を木端微塵に吹き飛ばす、最も尊ばれる「利益」である、と主人公は言います。

ここにドストエフスキー実存主義者と言われる所以が存するように思います。世界に存在するあらゆる理論体系がどのようであろうと、今自分が存在しており、自分の意志なるものを最大限に尊重するべきものとして扱うこと。近代が終焉し市民の道徳観念を支配していたキリスト教社会においても神の位置が最上位ではなくなり人間中心社会となる「現代」において特徴的な思想がここにも見られるのです。

そしてこの人間中心社会という考えは間違いなく現在の私たちの生活にも大きな影響を与えている、というか大多数のサブカルの物語の決着はこれを以って決着しているのではないでしょうか。「俺の意志こそ全てだ!」というセリフを使用している物語は枚挙に暇がないくらいにありますからね。

私は人間は理性だけじゃ生きてはいけないだろうと痛感しています。そして社会においては欲求が位置する余地を空けておかなければ息苦しいものとなってしまうように感じます。反道徳とされるものににおいても目につかない程度に活動するようにしないと可能性が狭まってしまうなーと、カウンターカルチャーにある程度ハマった身としては思うのですがどうでしょうか。

そうした個人としての意志による行動にも限界があり、人間は自らのみを尊ぶような態度をだんだん取れなくなってくるようになります。解説によるとドストエフスキーはそこで本書にて信仰の必要性を書き入れようとし後に削除したらしいのですが、そのことは、第二部にて主人公が情婦とほんの一瞬だけ愛を分かりあえた場面にも示されているように感じます。個人としての感情をなくし、自意識から抜け出して他者のために信仰をもって社会に尽くすという考えが救済となると。しかし文学においては社会が取り残してしまった個人の思いを掬いあげてそれを渇望している人々に届けるという性質も持っていると思うので、なかなか個人を無にするというのは凡人の私には受け入れられるものではないなぁ…、と思う次第。



最後に。「2かける2=4が何だっていうんだ!」という主人公の自然法則に対する憎しみが語られる場面で何となくイメージしたのがレディオヘッドのこの曲。「やベーこの曲のネタ元なんじゃね?レディヘとドストエフスキーが繋がっているの発見しちゃった俺マジインテリwww」と思って意気揚々とツイッターに書きこんだら「"2+2=5"の元ネタはジョージオーウェル」という至極冷静なツッコミを頂きました。知識が無いのに知性派ぶるのよくない。wiki見るとトムが「2+2=5であるということを信じ込まされ、それを受け入れ、できるだけ多くの人を不幸にしようと頑張っているのが僕ら」と発言しているようですので、世界の動かし難い事実に対する反抗というよりも、信じられてるものなんか嘘ばっかりでそれよりも重大な真実があるという意味合いの方が強いのでしょう。ですがご参考までに。

*1:当方も初心者ですがね、へ、へ!