ドストエフスキー『白痴』(上)(下)

白痴(上) (新潮文庫)

白痴(上) (新潮文庫)

白痴(下) (新潮文庫)

白痴(下) (新潮文庫)

ドストエフスキー強化月間ということで、今しがた『白痴』を読み終えました。いやー長かった。

精神薄弱と見なされスイスの病院で療養していた主人公がロシアに帰ってきて社会に交わった時、ロシアの人々は彼を「白痴(ばか、世間知らず)」と見なしました。しかし人々は主人公に振り回され、彼と敵対していた人すら次第に恭順を示すようになります。博愛の行動原理を何の疑いもなく実践する主人公ですが、ある女性を巡って騒動を起こしているうちに最後は悲劇的な結末を迎えてしまう…

元々は中島義道の著書『悪について』で印象的な引用をされていたので読んでみたのですが、この書が道徳というものについて一つの側面を明確に語っているなと実感しました。

悪について (岩波新書)

悪について (岩波新書)

彼は道徳的人間であるか。彼は確かに「愛すべき(liebenswürdig)」人間であるが、特に道徳的人間ではないように思う。なぜなら、彼はあまりにも自己愛が希薄なため、彼のうちにはほとんど「闘争」がないからである。(中略)だが、かれに出会った人々は、そのまったくの自己愛の欠如に驚愕し、不審に思い、妙に気になり、しだいに惹きつけられ、かれに振り回され、そして自らの自己愛と闘いはじめる。『悪について』p.61

*1

純粋さと道徳性の相互独立。中島氏はカント学者ですのでここでは自身のカント倫理学論と結び付けておられますが、道徳観念とは個人の煩悶の中にあるとは言い得て妙な気もします。社会的に見れば無価値でも、あれかこれかの迷いの中に道徳性は表われると。「道徳なんて役に立たない」とかいう言動も少なくない現代ですが、それでも思い悩む人が多いことを考えるとこの主張が未だに一つの真理を捉えていると痛感させられますね。

物語で善そのものともされる主人公に対して、欲望のまま行動する悪の化身ロゴージンとの対峙で物語は終わるのですが、善悪を超えた何もない、荒涼とした世界観で終わるのは何というか若松孝二あたりのサブカルっぽいかなと感じました。あの周辺にもドストエフスキーの影響が存在するのかもしれませんね。

最後に。イギリスのマンチェスターで活動していた伝説的なロックバンド、Joy Divisionの"Love Will Tear Us Apart"を。この小説を読んで初めてこの曲が歌っている情景が理解できたかもしれません。純粋な愛が人をどんどん追い込んでいく。絶望だ…

*2

*1:でも最後の二人の女性を巡る場面では主人公でもかなり逡巡しているようにも見えるけれども

*2:あと、新潮文庫の下巻は後ろに思いっきりネタバレが記載されてるので勘弁してほしいなと思いました。