キャスリン・ビグロー監督『ゼロ・ダーク・サーティ』

・歴史は動く、されど進まず

ゼロ・ダーク・サーティ コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD]

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ゼロ・ダーク・サーティ』観てまいりました!前から観たい観たいと言っていた映画だっただけにいざ公開となった喜びもひとしおでしたが、その期待に底の知れない重厚さで応えてくれる素晴らしい作品でした!残業後の異常なテンションで観た甲斐がありました。

2001年9月1日に起こったアメリカ同時多発テロ事件。その首謀者であるオサマ・ビン・ラディンを追い続けるCIA(アメリカ中央情報局)だったが、その足取りを掴むことは困難を極めていた。そんな中パキスタンアメリカ大使館に派遣されてきたCIAの情報分析官マヤ(ジェシカ・チャンスティン)。優秀な彼女は捕虜の尋問やその膨大な映像からアブ・アフメドというビンラディンについて有力な手掛かりとなりそうな人物の情報を掴む。しかし雲を掴むような捜索の中で、チームのリーダーであった男性がアメリカに帰国し、さらには別のルートで捜査を行っていた同僚がアルカイダの罠に嵌まり爆殺されてしまうなどマヤに逆風が吹く。極限状態のマヤに追い打ちをかけるように「アブ・アフメド」はすでに死んでいたという情報が。それでもめげずに現地でビンラディンを追跡する彼女は再度「アブ・アフメド」に辿りつき、さらに「重要な人物が住んでいる」と推測される豪邸をマークすることに成功。そして2011年5月2日、ビンラディン捕獲・殺害ミッションが決行される…!

印象的だったのは、ビンラディンが潜伏していると思われる家を特定した後、なかなか次の行動に移れないでいる上司に対して、マヤが彼のデスクを区切るガラスのパーテーションに「21」や「100」とCIAが地団駄を踏んでいる日数をマジックで書いて無言の抗議をするところ。このシーン、マヤの短気な性格を表しているのですが、一見したときはバランスが悪いと感じました。通常なら突き上げを行っているマヤ側の焦りや描写もないと、その人物に感情移入できない。『アルゴ』では同じように上司に反対された作戦を実施することに苦悩する主人公の姿がたっぷり描かれているのとは対照的です。

実はこの映画を観ている最中、何だか『ディア・ハンター』っぽいなーと幾度となく思いました。『ゼロ・ダーク・サーティ』では全体的に事実を積み上げていく手法がとられており、1年過ぎ事件があってまた1年過ぎて今度はこんな捕虜が捕まって…といったように実際の事実に則して全体が進んでいき、人物の感情表現は二の次とばかりに物語が進行するのが印象的です。それは『ディア・ハンター』も同様で、ある街の青年たちのベトナム戦争への出征前のシーケンスでは戦地に赴く前の集団結婚式の様子が淡々と写し出され、またベトナム戦争に行った親友たちがある戦場でばったり会って再会を喜んでいたと思ったら次には捕虜になっているという、個人の感情をあえて無視するかのような編集が『ディア・ハンター』では全体的になされていました。最初観た時なんだこの唐突な映画、と思ったことを覚えています。

つまり、『ディア・ハンター』があくまで歴史を主眼として映し出していたのと同様、『ゼロ・ダーク・サーティ』も国際社会の波乱の動きにフォーカスした作品であり、対応して歴史に翻弄される人間の姿を俯瞰的に表す作品であったのではないでしょうか。ここではただ粛々と事実が進行していく様子があり、それに対して人間の感情が追いついていない状態が示される。その人間にはただ拷問を行っただの親友を失っただのマシンガンで襲撃され九死に一生を得たなど最終的にビンラディンを暗殺しただのの結果のみが付いて回り、その呪いに対する身の処し方に惑うしかありません。社会変化が急激過ぎて、それに必死に付いていこうとする内に自分が何を思っているのか分からなくなってしまう、また起こるべき感情が起こらない自分に苛立つようになってしまっても不思議ではありません。戦争の現場では、戦争に関わった人間を救済する「物語」などないということを痛感させてくれます。

今作品は元々、9.11後もビンラディンを捕捉することができないCIAの受難の10年を描く予定だったとのこと。つまり今作品の当初のイメージは、連続殺人犯への何十年にも渡る執念の捜査を描いた『ゾディアック』のようなものを想定するといいかもしれません。そしてこのモチーフをとおしてキャスリン・ビグローが表現したかったことは、ビンラディン殺害という事実が積み重なった後も実質的には変化していません。何故なら激動の歴史の下で翻弄される個人の哀しみを丹念に描く上で妨げとはならなかったからです。ビンラディン暗殺という事実は軍事作戦の成功ではあったものの、彼が創り出したカオスの終焉を意味するものでは全くありませんでした。

最後の戦闘機のシーンでマヤは、これからどこに行くのかとパイロットに問いかけられる。しかしその質問に答えることはなかった。このことはこれまでビンラディン追跡という目標を失って迷うマヤ自身の行く末をも示していたと思う。混迷を極める現代において、崇高な意志を持ち身を粉にして使命を全うしても、明確な答えは示してはもらえない。それは例えビンラディン暗殺の指揮を執った英雄だとしても同じことなのだ。



そうそう、イスラム兵を拷問する時にメタルを流すって本当だったんですね。動画はタイムリーなこいつを。