沖田修一監督『キツツキと雨』

・経験とは何ぞや
キツツキと雨』、観て参りました。

映画館のポスターでその存在は知っていたものの、イマイチ観る気になれなかった作品なのですが、ネットでの評判が悪くないものだったので観てきました*1。そして心から観てきてよかったと思える映画だと思いました。

あらすじとしては、中部の山岳地帯で林業を営んでいる男(役所広司)の働き場である山林の近くにゾンビ映画の撮影隊がやってくる。その中には自信を喪失しつつある新人監督(小栗旬)もいるが、彼らは強引に男の手助けを借りたりし迷惑をかける。しかし撮影が進み、男と新人監督が交流をしていく内に彼らは一つの奇跡を体感する―というお話。

役者が全員良かったし、物語も素晴らしかった!何をおいても称賛されるべきは役所広司の演技でしょうね。私は最近映画に嵌りだした身なので彼のことをテレビドラマやダイワマンなどのイメージでしか知らなかったのですが、生粋の映画人なんだなーと痛感しました。つい最近妻を亡くした朴訥な木こり、という役柄をほぼパーフェクトに演じており、「やや、この人本業っぽいぞ」と思わせてくれました。そしてそんな人物を魅力たっぷりに演じてくれたことで、物語の展開もかなり滑らかになっていました。また新人監督役の小栗旬も、人が苦手で絶えず他人と距離を置こうとする若者を無理なく演じていたと思います。この二人は、共に基本的に自分から近寄ろうとしない性格なわけですが、しかしながらよそよそしながらも徐々にひかれあっていく様子をとても丁寧に表現しているため、映画の展開に説得力があると感じました。

映画の現場はよく地獄だと言われる(らしい)のですが、本作の映画製作の場面でもその片鱗を追体験させていただきました。決まらないロケ地、文句を言われながらの作業、まとまらないクルーたち、何度も求められる判断…もうすぐ社会人一年目が終わろうとしているペーペーの私にとっても「あーこういうのあるわー」と感じさせられるところは多かったです。というか現場を理解してなくて常に小突かれている別の新人に対しては、今の自分とかなり親近感をもちながら観ていました。

感じるところがあったのは、木こりが、撮影に多くの女性が必要と聞いてから村の女性を何とか集めて、体育館で撮影を行うシーンです。このシーンが、この映画において最も、”何か”が生まれた瞬間を表していました。人と積極的には関わろうとしない木こりと、行き詰っている新人監督。そしてそのディスコミュニケーションを象徴するように停滞している現場。その場を打ち破るような、人と人による”共振”がはっきり伝わってきた場面でした。このシーンがあるからこそ、その後の人物の行動の動機なんかもはっきりしてきて観ている側も身を乗り出してきたくなるような雰囲気になってきましたね。

もちろんその前に、木こりが自分の出演したシーンをフィルムで実際に観るところがあって、そこでも主人公は高揚感のある”何か”を感じたわけです。そしてその思いが次の段階への動機づけとなっていく。その展開のつながりが無理なくなされていたのが素晴らしい。撮影に幾度となく困難を突きつけられながらも、地道に立ち向かっていったのは素直に感動できるところでした。

さて、あの体育館での瞬間起こったこと、及びその感情が我々にも伝わったということは一体何なのか。

同じ言語でも、使われているその言葉の意味を二人が共通の理解とともに使われていない場合があります。例えば、「私は歯が痛い」という言葉は、実際に痛みを受けてその言葉を発している人間とその言葉を受け取った人物では全く同じ意味を了解しているとは言えないでしょう。病に苦しんでいる子供に対して「できることなら立場を代わってあげたい」という親がいることは、言語行為による伝達の及ばない範囲が存在する、ということを証明しているように見えます。

しかしながら時として、「全く同じ感情を共有した」と言える瞬間がある。それはこれまでの歴史において幾度となく起こったことだし、戦争を体験した世代とその後の世代で断絶している原因がそれだし、件の大地震で私たちの身に起こったことがそうだ。そしてそれはスケールを何万分の1にしながら絶えず我々の身近でも起こっている。それがこの映画で一番象徴されていることだと思います。ディスコミュニケーションを特徴とする現代における僅かな可能性。我々が普段「経験」と呼んでいるもの、その性質は、一面では科学の基礎とされながらも、ある一面では全く予期できない形で人の信念を形作る。そういった経験は、人々の意志や共同体の倫理を形成するのにこれ以上ないものとなるのでしょう。

最近、共同体が恙なく運営を行っていくには成員同士が確信を共に持てるようなある程度の共通した経験が必須だなぁ、という思いをしきりに抱いていたので、この映画を好きになってしまったのはそういう要因もあるかもしれません。感情を教育することはほぼ不可能に近いわけですが、そういった経験の場があることって、都会にせよ田舎にせよ重要だ、と心から思います。感情の揺れ動きの共有が、分かり合う可能性の低い人達の間で起こる。そんな奇跡を未だに夢見ている人たちに超おすすめの映画ですよ*2


自分が洋楽ファンを始めるきっかけとなったライブ。といっても実際に参加できたわけではなく、このフェスの様子を伝える雑誌を田舎で読んだというだけ。それ以来、この会場以上の経験をしたいと願ってライブ会場に行ったりしていますが、なかなか叶いませんなー。

*1:ビバ受動的消費者!

*2:といっても大体の映画館で上映終了しかけているけどな!