2011年を振り返るよ

こんにちは。
今年も早いものであとわずかとなってしまいました。今年もいろいろありましたね。年末進行の真っ最中でお忙しい方も多いと思われますが体調など崩されてはいませんでしょうか。

さて、今年から作品紹介ページとして活動してきた当ブログですが、その中でも多かったのは映画でしたね。今年から映画に思いっきりはまるようになったのと、2時間観ればそれなりに感想が書けちゃう気楽さがあって数多く投稿させていただきました。

そしてこれがやりたいがためにブログを続けてきたといっても過言ではない、年末のベスト企画をついにやる時が来ました!今年もいろいろあったなーと自分のツイッターを読み返したりなんぞしつつ振り返っていき、割と印象に残っている作品をランク付けしていったらこんな感じになりました。それではよろしくどうぞ。


第1位 ジェームス・ガン監督『スーパー!』

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新社会人になりたてという素晴らしいタイミングでこの映画を観ることができました。全体的にユーモラスさに貫かれてるんだけど、えもいわれぬダメ人間の切なさを感じさせるところに感情移入しまくりでした。ここで描かれてる正義への渇望みたいなのものは学生時代にずっと考えてきたことだし、それが社会で実際にどのように展開していきそうなのか示唆してくれたとさえ思えます。最高!

第2位 トム・フーバー監督『英国王のスピーチ

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アカデミー賞関連作に面白い映画無し、という自分のなかの常識を軽く打ち破ってくれた作品。自分の内気さを自覚している人ならば誰しもコリン・ファースに自己を投影したのではないでしょうか。音フェチとしては自身の声の引っかかる感じや王室を歩く時のカツーン、カツーンという響きが計算されていて、ジョージ6世の心象を追体験できるつくりになっていたのが印象的でした。

第3位 スザンネ・ビア監督『未来を生きる君たちへ』

大真面目な映画でしたが、アフリカや北欧の風景を抑え気味に描いていてすぐに没頭することができた映画。人間関係の不和が普段の信頼関係のひずみから来ることを丁寧に描いていて素晴らしかったと思います。役者も全員よかったですねぇ。物語の舞台が海風が吹きすさぶところだったのも、海沿い出身としては懐かしくてポイント高かった。

第4位 デレク・シアンフランス監督『ブルーバレンタイン

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「人は何故かつて好きあって結婚した相手と離婚してしまうのか?」という人間の永遠の命題に真正面から向き合った快作。自分でコントロールできない感情によって結びついたからこそ、その感情が湧き上がってこなくなったら魔法は消えてしまうんだなーと思います。この悲劇を分かち合いたいと人に薦めたくても、幸せそうなカップルの人にはなかなか進めずらいのが玉にきず。

第5位 ダレン・アロノフスキー監督『ブラック・スワン

第5位はブラック・スワン。精神の暗黒に堕ちていくバレエダンサーの描き方が手を一つも抜いていなくてすごい!そして最後の舞台で喝采を浴びる場面では、いろんなものを犠牲にしてでも承認を得たいことが伝わってきて、業の深さを感じるとともにとんでもない興奮に包まれました。

第6位 ジョナサン・レヴィン監督『50/50』
つい最近まで就職口が見つからず一人で焦燥感に焦がれていた自分にとって、この主人公はまさしく自分です。人とうまく過ごすことができないまま癌の闘病生活を続け、表面上はやり過ごしているつもりでも実はヒリヒリ追い詰められている姿に号泣しました。

第7位 ジョン・キャメロン・ミッチェル監督『ラビット・ホール
上記『ブルーバレンタイン』への回答ともいえる映画。息子の事故によって一度破綻してしまった家庭が再び再生する過程を描いた映画、というとありがちな作品になってしまうかも。しかし夫婦ゲンカの重さ、加害者の少年とのぎこちない交流をじっくり描いていたためか今後の希望を感じさせるラストに説得力がありました。

以上が今年観て本当によかったなぁ、と思える映画でした。このほかにも『イクジット・スルー・ザ・ギフトショップ』『探偵はBARにいる』『スコット・ピルグリムvs.邪悪な元カレ軍団』『インシディアス』『リミットレス』『ソーシャル・ネットワーク』あたりはとてもよく印象に残っております。

全体的にそうですね、えらい真面目な作風のが多いというか(笑)震災の影響を受けてというよりも普段の自分の性質がそんなんだからついそういう映画ばかりに心を奪われている気がしないでもないです。来年はもっと安心して気楽に過ごせるとよいですね。

というわけで今年は終わり。このランキングとは別に、最後にちょっとした駄文を載せてみることにしました。私の平凡なランキング発表に付き合ってくださったかたも、もうちょい下にスクロールしていただければ幸いでございます。

それでは来年もなにとぞよろしくお願いいたします。


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私の感情は誰のものなのか?

2011年最初に観た『ノルウェイの森』は、――重度の村上春樹ファンの目を恐れずに言うならば――「不全」をテーマにした物語だった。原因が不明瞭な自殺をしてしまう主人公の親友のキズキや、永沢先輩の心を自分に向かせられないハツミ等の登場人物はまさに自身の感情の「立ち行かなさ」に終始苦しめられている。極めつけは本作のヒロインの直子であろう。恋人のキズキよりも主人公と体を重ねた際の方が濡れてしまったという事実は、心と体の不一致を表す事象としてその後直子の精神に重大な影響を及ぼすことになってしまう。

2011年は私個人にとっても重大な年であった。盲目的に哲学に打ち込んできた学生時代を終え、晴れて労働者への道を歩むことになったのだから。以前に「USインディーロック愛好者は社会不適合者率が高い」と言われたが、それも何となく分かりそうなものだ。一人映画を観たり音楽を聴いたりして自分の役職から必死に逃避していた印象がある。

とにかく視点が変わったことは確かであろう。「もう学生生活に戻ることはできない」という命題は当初の想像以上に重く私の背中にのしかかっている。非常によくできたゲーム『ペルソナ4』をやっている最中でも、自分がもうこの学校という空間に戻ることができない切なさが幾度となく付きまとってきたものだ。実際、楳図かずお諸星大二郎等のレジェンドを除いて漫画を買わなくなってしまった。

今の職場に入りたての頃、white stripesの”I don't know what to do with myself”をよく口ずさんでいたのを記憶している。まさしくそれは、その頃の自分を十二分に表す曲だったのだ。それまで引き籠りがちの立派な学生ニートだった自分が、いきなり組織人としての立ち振る舞いを求められたのだから無理もない。
そんな時観た『英国王のスピーチ』には泣かせられたものだ。もともと吃音持ちのため人前でうまく会話できない主人公が、さらに英国王の役割を担うことになる。高すぎるプライドとともに悩み苦しむジョージ6世はまさしく社会に馴染めない自分そのものであった。

夏頃にはクライアントのクレーム等もある程度受け流せるようにはなったものの、やはりこのままでいいのかという思いは心の底に蓄積していた。夏季休暇をとって鑑賞した『スーー!』は素晴らしい作品だった。生きてきてロクなことがなかった中年男性が、「神の手に触れられた」ことをきっかけにヒーローのコスチュームを着て町の小悪党どもを退治しようとするストーリーだが、「黙れ悪党!」と叫びつつどこにでもいるような小市民達にスパナで鉄槌を下す主人公は暴走していながらも健気で愛らしく、そして悲しかった。

この映画で主題となっているのは要するに承認欲求、つまり他者に認めてもらいたいという感情のことだ。仕事柄、自分の要望が通らないことで自らの憤りをぶちまげる人々を多く見てきた。かつてネット上で社会への怒りを幾度となく送信していていた立場から、それを受ける立場になった。それはまぁ宿命みたいなものなのだろう。(今の世代の問題はそれが情報技術によって隈なく記録されているということだが)

私の感情は誰のものなのか?はっきり言って感情は自分というよりもその大多数が外部からの影響で発生するものだ。そしてそれは私達の行為を左右し人生をドライブさせる。時にはそのせいで予想だにしなかった人生の地点に身を置くことにもなる。

恐らくだが、映画・ドラマ・漫画などストーリーものの大半は「世界を私の意志で満たすこと」を前提としている。正義感に沿った感情を持った人物と、それを受け入れようとしない世界。その二律背反をどう克服するのかが主題で、大半は主人公が相手に打ち勝ってハッピーエンドとなるのが筋だ。「セカイ系」なる単語が出てくる以前にそもそもそういうお約束が存在している。

さて、それに対して現実の私はどうだったか?連戦連敗といったところだろう。少なくとも職場では自分の意志は二の次で組織としての行動を重視するようになったし、自分の意志ではない仕事をやってその責任を負わせられている。つまりここではもはや私個人の感情は必要とされてはいないのだ。

通常なら、社会と自分の意志の摺合せが行われて社会道徳は維持される。これまで数々の物語を体験してきて、自分の意志はある程度通るものだとばかり思ってはいたが、どうやらそれは単にお膳立てされたレールの上に乗せられていただけのことだったようだ。社会対個人が半々だと思っていはいたが今や99対1ぐらいに感じつつある。

もはや何もかも自分の思い通りにいくかもしれない、というそれまで持っていた淡い幻想はあきらめるべきなのだろう。自分の意見は組織化され、社会化されたうえで人々の衆目に晒される。簡単には動かない、とても重い面舵を操作するかのように今後は社会と向き合っていくしかないのだろう。



今年最後に観た『コンテイジョン』は、病原菌が原因で世界中がパニックを起こす中で、父親や医者や官僚など社会的役割を担った人がその役割に沈められていき時には命すら落としていく様を淡々と描いた群像劇だった。いつか来る責任の重さの恐怖におののいている自分にいたく心に残った。そんなに好きになれなかったのは、恐らく現実をそのままに表現していたからだろう。