ジョエル・コーエン監督『ファーゴ』

・不安の上の安心感。
コーエン兄弟監督『ファーゴ』鑑賞。

これの前に見た『バートン・フィンク』が「観終わったあと自分の身に何が起きたのかさっぱりわからないくらいの興奮」を与えてくれるような素晴らしすぎた作品だったので,『ノーカントリー』及び『トゥルー・グリット』で植えつけられていたこの監督への苦手意識を克服すべく観てみました。
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バートン・フィンク』ほどではないにせよ、観てとても満足のいく映画であり、終わった後も深い余韻を残す大好きな作品となりました。

誰にも言えない借金が積み重なってどうにもならなくなった主人公が、自分の妻を子悪党たちに誘拐させて義父に身代金を支払わせて金を得ようとするも、その悪党たちが誘拐に際して人を殺してしまう。何とかしようとする小悪党及び主人公だが、妊娠中の婦人警官を中心とした警察は着実に彼らを追い詰めていく――というお話。

主人公ですが、車の営業部長ということで、なぜこのような悲劇にいたったかの背景が感じ取れました。すなわち、車を売りさばく人間である以上、ある程度「ハク」がついた人間であるということを示さねばならず、その積み重ねのせいで借金を重ねて今に至ったという。

さて、婦人警官の最後とこの犯罪を計画した一味の末路の対比表現は、コーエン兄弟の独特の味気無さを持ちながらも一定の余韻を残すことになります。通常、このような犯罪を中心に動く物語の場合、正義側にいる婦人警官達もこの不条理の影響を受けるはずです。しかしながら最後婦人警官とその夫は完璧ではないにせよ一定のささやかな幸せな生活を得ることになる。それぞれの対比は残酷に描かれてドラマチックさを表すでもなく、雪景色のようにただ淡々とそこにあります。

「生まれてきた場所を人は選ぶことはできない、だから社会全体のセーフティネットが必要なんだ」というのは、ジョン・ロールズをはじめとするリベラリズム論者の主張ではありますが、それに対して「自分の財産を必要以上に搾取されるのはおかしい」とリバタリアニズムがカウンターとして出てきたように、アメリカにおいて平等はやや受け入れられにくい考えで、財産なくて死ぬ人は死ねといった自己責任論がかの国で強いというのは常識です。そしてこの考えの現実社会におけるいびつさを色濃く反映しているストーリーだと思いました。

この映画で悪役とされる主人公は、そこまで悪人というわけではなく、借金や会社での立場といった社会的状況に追い詰められてこの結末を迎えたという印象を受けました。最後の賭けとして狂言誘拐を行うものの、一人で身代金を払うという義父の威圧感に勝てない気弱さ。そして歯車が雇ったチンピラ共を巻き込んでどんどん狂っていく。

チャンスに恵まれた人がなぜそうなったのかも分からずに豊かな生活をし、不幸な人は溝に嵌って抜け出せないかのごとく取り残されていく。おそらく、私たちが今後どちらの役を演じるかも未定なのでしょう。この先「理解できないわ」というセリフを言うほうに立つのかそれとも言われる方になるのか、それは誰にもわからない。時が来たらどちらかの役を演じるしかない。そしてこれは、婦人警官が体に宿した新しい命にもじきに降りかかってくるであろう宿命でもあります。


「元観察者」という名の、地獄のような感情を表したパンクソング。不条理にぶち当たったとき、ある人はその禍根に立ち向かっていくのかもしれません。しかしそれ以上に人間社会の渦は根深い気もしますね。