スサンネ・ビア監督『未来を生きる君たちへ』

ハイパークソ真面目野郎ターイム

久しぶりの東京遠征。何本か観たい映画があったので連続で観てきましたが当たりだったのはこの作品だけでした。

原題は「HAEVNEN(復讐)」。英題は「In A Better World」、そして邦題は「未来を生きる君たちへ」。アカデミー賞ゴールデングローブ賞外国語映画賞をダブル受賞した作品です。最近アカデミー賞受賞作品とかパルムドール受賞作品とか観てみるとハズレが多いんだよなーと思っていたんですが、この作品は素晴らしかったです。

内容のほうを観る前に一通りさらっておいたので、途中までの展開は観る前に大体知っていたのですが、まぁテーマ重いよねーと。説教臭い映画大好き人間の私ですが、それと映像を観る楽しさを両立させている映画って少なくて、この映画もただいたずらに世界の不条理性を描きだすだけでそれ以外何もないもののような予感もしておりました。しかし初っ端からのアフリカのシーン映像の美しさと導入部の音楽の美しさにそんな予感は一発で吹き飛びました。その後も最後まで映画の中に深く没入することができ、理想的な映画体験ができて本当に良かった。

舞台はアフリカとデンマークの二つ。アフリカで医師として活動する男性と、デンマークの学校内で陰湿なイジメを受けているその息子。ある日母親を亡くした親子がロンドンから彼らのもとに引っ越してきて彼らの状況を大きく変化させる行動に出る―というのが筋。

上述しましたがとにかく映像と音楽が素晴らしい。アフリカについては毎度のことながら雄大な自然と大地というそれなんてナショナルジオグラフィックチャンネルと言われてしまいそうな感じの風景をちょいちょい挟んでくるのですが、しかしこれが情緒に浸り過ぎない乾いた感じの印象を与える画を多用していて大変よろしい。個人的にはトルコのカッパドキアのローズバレーに行った時に近い感動があってじっくり観いっていました。物語を邪魔するほどうるさくないのでいい。音楽も序盤から、恐らくビブラフォンだと思うのですが独特の響きをもった音を響かせてくるのでスッと胸に入ってきます。そして盛り上がる所ではコンクレート音楽チックな音像が襲ってきて登場人物の感情とともにドライブしてしまう。独特の美意識をもった監督さんだと聞いていましたがこれを見る限りでは、意外と正当派、しかも優秀な人だと思いました。

人物の方もなかなか。子役の二人はこれ以上ないという感じでばっちり役にハマってましたね。自分の信念をなかなか曲げない、結構めんどくさい子供のクリスチャン役の子は、次『オーメン』リメイクやるんだったらこの子しかいないなと思わせる位正義の名のもとに悪意を発していましたねぇ。また、善良ないじめられっ子役のエリアス君もなかなかの情けな顔。文化は異なれども、頼りなさがにじみ出てくる人って変わらないなーと思い知らされました。*1あとはエリアスの両親役の二人も良かった。破綻した家庭ということもあってか、『ブルーバレンタイン』の二人がちょっと歳とってそこにいるかのような錯覚が。

さて、肝心の内容ですが、まず一番に鮮明だったのが教室でのシーン。なかなか落ち着かない子供に対して頼りなさげに「静かにしろー」という男性教師。これを観てもしかして学級崩壊してる?と勘ぐってしまったのですがその真相は分からず。しかしこれや続くシーンで、国民の幸福度が高いはずの北欧の教育現場の実態が対して日本と変わって無くない?と思いました。一番ああ日本と同じだと思ったのが、いじめを受けているかもしれないということでエリアスの両親が学校に呼ばれるところ。「これは私たちの子供にとって深刻な問題なんです!」と言う両親に向かって教師が「自転車の空気を抜かれた子供は他にもいる。犯人は特定できない」「それにこれは親の問題もあるのでは?両親の別居は子供に悪影響のはず」といったシーンは、私も社会人になってそういう立場に立つ所もあって発言するのはリスキーなのですが、しかしとても醜悪と言わざるを得ない。というかそりゃ怒るって。普段モンスターペアレントなど散々バカにしている身からしても、大人の都合を押し付ける事なかれ主義が教育の現場で蔓延しているのをみるのは精神力がいりますね。その後の校長も、ケンカしたクリスチャンといじめっ子に対して「ほら握手。そんで仲直りね」と表面的な結果しか眼中にない対応をするし。俺教師にならなくて良かったなと思います。

原題ともなっている『復讐』という言葉はまさしくこの映画の全てを表していると思います。アフリカで援助活動をしつつも地元のギャングが弱い者の命をもて遊ぶかのような振る舞いをするのに直面するエリアスの父。そんな父がデンマークに戻った際も、子供同士の喧嘩を親から親の暴力で対処しようとする男*2、そんな男に対して「あいつは殴り返す価値もないクズだ」とはいうもののそれでは納得しないクリスチャン。そんな彼が起こす行動が後に大事になっていく。エリアスの父もアフリカでギャングのボスを治療することになるが、ひょんなことで復讐にその手を染めてしまう。そしてそのあとの電話で、もし彼が「疲れてなかった」なら彼はこれ以上ない復讐をしたその日に復讐を実行しようとする息子を諌めなければならなかったはず…

しかしながら裏のテーマを言うなら「不信」かもしれません。当初は愛し合っていたはずなのに父親の浮気のせいで離婚寸前となっているエリアスの両親。そんな父親にエリアスはクリスチャンとの復讐の計画を相談しようとするも父親は取り合ってくれない。ここでちゃんと話しあえていたなら後の事件は起こらなかったはずなのに。また、クリスチャン親子も、母親の死の際に、父親は母親がもうすぐ死ぬはずなのを分かっていながら最後まで息子に「母さんは元気だ」と言い続けた。そしてそれが裏切られたことで、クリスチャンの心の底に拭いがたい憎悪が張り付く。「話しあおう」とことさらに言ってるのが北欧らしいっちゃらしいのですがしかしその意思も空回りするばかり。そんな人々相互の不信感がどんどん状況を深刻にしていくという。この手の無理解は日本にいる我々でもたやすくぶち当たる問題でありますね。

それでは、この映画のオチについて。この映画の最後のほうでは、自分の行動が正義だと信じて疑わないクリスチャンがとんでもないことをしでかして、その結果身近なものに害を与えてしまうという流れになります。そして色々あってクリスチャンも改心してハッピーエンドとなる訳ですが私は何だかなーと思ってしまいました。そもそもクリスチャンのした行為の結果がかなり偶然的なものに依拠しており、「復讐が必ず自分の身の破滅をもたらす」というをうまく表せてない気がしました。これならその後もクリスチャンは自分の悪性に気付かず復讐を繰り返してしまう可能性だって全然ある訳で。その後も、重大な被害を被ったキャラと深く理解し合うことが出来て罪が浄化されたという訳ですが、しかしそもそもの被害を食らったキャラいるよね?という話。身内だけで綺麗にまとまったのはいいとしても、全体的におかしくないかそれ?と疑問に思わざるをえません。『スーパー8』の、最後死者たくさん出てるのに友情とか親子愛とかの内輪ノリのやりとりで終わらせてしまうのに似た違和感が。いい映画だったのに、何か最後の着地点間違ってんなーという印象で終わってしまいました。

しかし観ることで得るものはとても大きい映画だったといえるでしょう。個人的には今年の下半期ベスト級かもしれません。思うのは、日常生活レベルで支持される正義がその本性の中に「排除」というものを含んでいるということ。それはある種仕方ないとは思いますが、しかし自らの正義が殆ど認められずに他人の疑わしい正義がまかり通っていると考え込んでしまうと人はだんだん狂ってきて、まず気に入らないものの排除から始めてしまう。そしてそれがいい結果をもたらさない。つまり道徳という名のどうしようもない地獄に我々はいるというね。果たして我々は我々の子供たちに「未来」あるいは「より善い世界」を見せることができるのかという疑問は尽きません。やはり正義とか道徳とかどうでもいいはずのことに異常なまでにこだわる映画は最高。そのことをウェルメイドな映像と音楽でじっくり観させてくれる良い映画だったと思います。


ハイ・スクール・ネバー・エンズ!「学校で生活できなかったら社会ではやってけないというが、学校ほど歪んだ所はない」という言葉を目にしたことがありますが、しかしその歪みも大人の社会から来ているような気もしますね。ダメならダメなりに、ボンクラならボンクラなりにこの社会ごまかしてなんとか生きてこーぜ!

*1:映画ファンな腐女子の人々はこの二人で妄想したりするのだろうか、とか考えてしまった自分が嫌だ

*2:こういうやついるよねー。ただ男親のプライドとか子供の前でダメな姿見せらんないととか問題はちょっと複雑