『(500)日のサマー』

ジョセフ・ゴードン=レヴィットにつられて観ました。話の内容は、結婚は運命の女とするべきとするロマンチストな男と、人を好きになることなんかないとあくまでドライに生きる女の物語、といったところでしょうか。『キック・アス』の女の子も出てましたね。

まぁ評価としてはあれですね、なよなよしてて自分から相手に何かを切りだすことがなかなかできない内気なジョセフ・ゴードン=レヴィット萌えの人なら好きになれるでしょう、というぐらいしかできないなー。ヒロイン役でShe&himの片割れそしてデスキャブのベンの嫁のズーイー・デシャネルもそんなに可愛く…フガフガモゴモゴ*1


で、今回のテーマは「ポスト草食系男子の時代に向けて」です。

いうまでもなくこの映画の主人公は俗にいう草食系男子でして、好きな娘にアタック出来ないでウジウジしてたり、青年期の挫折期を最も具体的に表現するバンドと言われるザ・スミスを聴いていたり、カラオケでピクシーズのhere comes your manをマイクを両手で握って歌うなど、見ててあー日本でもこういうやつがドラマのキャラに一人はいるなーというかもう妻夫木聡にしか見えねーやこれ、という位違和感がありませんでした。

多分これツタヤのコーナーの結構いいとこに置かれててしかも大体借りられていたので人気作なのではないでしょうか。そして恋愛のコーナーだったのでこれを借りた大部分は女性に違いなくてそのほとんどは草食系男子萌えなんでしょそうなんでしょ。わかってるんだからもう。*2

草食系男子、それは長い間トレンドとして日本社会に蔓延してきた概念であります。しかるに僕みたいな部屋に引きこもって特に何をするでもなく日々を過ごしているような男にもおこぼれ的影響があっても良かったと思うのに、大した恋愛もせずに大学時代を終えてしまいそうなのは何故なんでしょうか!?

そのことはさておき、オタクを批判する論調にありがちなものとして「オタクは女性を所有物としてしか見ていない」というのがあります。僕も実際に麻生久美子可愛いわーいや宮崎あおいのがイイ!やばい両方から告白されたら俺本気でポルターガイストの作り方を知りたくなっちゃうぞ、とか思ってた所に「そういう男は自分が何を言っても文句言わなさそうな女の子ばっかりチョイスしている」いうのを書かれてたのを見てあーなんだかなーと思ったことがあります。あー恥ずかし。

しかしこれ、裏を返せば草食系男子を求める女性にも言えること何ではないでしょうか。積極性が無い、根性が無い、そんな彼なら自分のいいなりになりそう、そんな裏の欲求がこのブームを長らく支えてたのではないでしょうか。うーん、そういう欲求がこちらに無いこともないにせよ、どうなのそれとの印象も拭えない様な気もしますねーそんな気がしますねー。

ということを踏まえると、やはり色恋の事項における「よく分からないものに身を任せる」という思想は危険性はあるもののそれなりに説得力はあったのかなーと思われてしまいます。つまり全てをコントロール下に置くことの否定ですね。ましてや相手が人間ならいっそうのことでしょう。人との関わりを避けている人間に限って相手に対してバーバリアン的に振る舞うような人間関係を理想としてしまうのがありがちです。そういう凝り固まった考えに対する特効薬のような思想として「信じる」というものはあるのかなと。

ですので何もかも思い通りになる世界から出てちっとは不確定性に満ちた世界を体感してこいということですね。無菌室では何も得ることはできず、そこで失敗なり何なりして学んだほうがよりよい成長が望める、という所かと存じます。「草食系男子」の神話が滅ぶためにはそういった機運を発達していかなければならないのかもしれないですね。


コレひどい文章だなー。まぁいいや。

*1:でも冗談抜きでこのことがこの映画の敗因かもしれない

*2:でも『食べて、祈って〜』みたいな恋愛映画ばっかり観てる人ってどんな層なんだろうか気になる