久しぶりに日記を書く。といっても自分自身は全く進歩していない。就活も本番になり、公務員関係も今が大事な時期だというのにどちらもやっているせいで中途半端になっている感が否めない。やばいんでしょうか。やばいよね。今だってエントリーシートかけなくてこれ打ち込んでるし。この時期においてもpsp欲しいなーとか超考えてますし。ヴァルキュリア2なんでps3やないんや…。

で、就活の為に東京行って感じた事なんだけれども、俺はあれですね、歪んでますね。何というか今哲学科にいて専攻しようとしてるのがリベラリズム、すんごい端的に言うと最低限のルールさえ守ればあとは基本自由っすよーっていう思想なんだけれども、その一方でずっと居心地のいい筑波に引きこもってたのは傲慢だったかな、と。

いや、前にもう誰が都会になんかに住むか!人多すぎなんだよボケ!とか言ってた身としてはいまさら何言ってんだという話なんだけれども。でも東京行って感じるのは、ここには色んな人がいて、雑多な価値観が存在する。人が多いのはもちろん、例えば若者ファッションの最先端(だよね?)の渋谷&原宿がある一方で、秋葉原もある。歌舞伎町があったと思えば皇居もある。アクセサリーショップの隣で野菜が売られてたりする。そしてそうした様々な文化を、東京は全て受け入れている様に感じる。

となるとリベラル気取ってるなら何で東京住まないんだよ、ていう事になる。思想のごった煮状態の社会で暮らしてこそこの考えは説得力を帯びてくるんじゃないのか。事実、説明会でちょっと話しただけでも、私立文系の人は営業職に絶対強いだろうなと実感する。理由は簡単で、普段から人の波に揉まれているから。多様な価値観にさらされ続けながらも、日々自分で判断しながら生活していく。これってリベラルじゃない?

対して俺はどうだったかと言うと、高校田舎→予備校千葉市(ここで都会に挫折)→今つくばという履歴を経て、田舎だけれども風通しの良さを感じて生活できるこの学園都市に浸かり切った。そしてこの事に対してずっと無反省だったどころか、都会に対して敵意を剥きだしにする様になった。つまりこの俺の立場ってどっちかっていうと一つの文化を守ろうとする、リベラルの論敵である共同体主義者ではないですか!

このジレンマをどうするべきなのか。就活を通してこの気付きがあった後でも、都会主義者になれたかというと全くそうではない。だってやっぱり人が多すぎて、生活するスペースが狭すぎると思う。都会の生活は窮屈すぎるし、一人一人に十分な承認が与えられる余裕がない。少なくとも予備校時代の俺は都会に居場所を見つける事が出来なかった。まぁ発展しなきゃいけないっていう前提があるからして、東京に人が集まってなきゃ外国に勝てないっていうのは分かるんだけど、それで豊かな生活が出来るかというと俺は疑問です。

歪んでいたというより実は俺が隠れ共同体主義者だったんだとしたら、じゃあ俺の守りたいものってなんだよ、って話になってくる。メインカルチャーへの不信からサブカルへ走った経験があるように、ただ最大公約数的なものが嫌でそれを避けるようにこれまで生きてきたのだろうか。薄っぺらいな俺の人生。

つまり俺の人生での目標ってなによ。というのが今の最大の関心事。歪んでるにしろ無いにしろそれを考えなくては。

でもこういう時に人は宗教にハマるんだろうな。


キングスオブレオンってこんなバンドじゃ無かったよね。でも最近一番聴いてる。