サム・メンデス監督『スカイフォール』
・老兵は死なず、ただ復活するのみ
『スカイフォール』、観てまいりました。
- アーティスト: Thomas Newman
- 出版社/メーカー: SMJ
- 発売日: 2012/11/21
- メディア: CD
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とにもかくにも最初の犯人とのおっかけっこで心を持ってかれましたねー!周りの露店の迷惑お構いなしのカーチェイス→あまりに細くて通れるの?と思ってしまう道でのバイク競争→電車上でのバトルという、目まぐるしく変わるシーンの応酬。これがハリウッド映画だといわんばかりの映像は、ビッグバジェット作品の文脈がまだ現代においても健在であることを高らかに宣言しているかのようでした。
その後もMI6の衝撃的な爆破だったり、上海でのシルヴァの手下との格闘の幻想性だったりとカジノの異国性だったりと映像が最近の作品でも屈指の美しさを誇っているのですが、これ撮影してるのがコーエン兄弟の作品でおなじみロジャー・ディーキンスなんですね。私は『オー・ブラザー!』の色濃い風景がとても好きなんですが、今回もこの人に全力を出させてる感じがしててとても良い。小難しいコーエン兄弟の映画のみならず、海外の風光明媚な風景も重要な要素であるボンド映画とも抜群の相性でした。ほんとこの人の撮った作品に外れが無さすぎる…*1
さて、今回のテーマは「伝統と革新」だそうで。恐らくその言葉は今作品全体に流れているのが簡単に読み取れると言いきってもそう大きくは批判されないでしょう。「英雄性を決して忘れはしない」として旧態の組織にこだわりを持ち続けるM、復帰テストで肉体的老化を如実に示すボンド、そして「ペン型爆弾なんか時代遅れさ」と言いコンピューター技術に特化したサポートを行う若手の新Q。新旧二つのイメージが重なりあい、コンフリクトし合う様は、映画史そして現在の007シリーズの立場に近いものです。ボンド役を次々替えて50年の歴史を刻んできたこのシリーズは、人物を超越した精神性が具体的に存在することを感じさせます。エンターテイメント性をその身に集約し、英国紳士としての振る舞いも完璧にこなすボンド。虚構の存在といえども、人々にその存在を求め続けてられてきた彼には、肉体をとっかえひっかえしても具現化してしまう精神印象をどうしても持ってしまいます。*2しかしいつまでもその歴史性に凝り固まった作品ばかり取り続けていても「あーあの作品ね、まだやってたの」という評価になってしまいがち。007もいつそうなってもおかしくないシリーズの筆頭ですが、「ボンドの人間らしさを表現する」ダニエル・クレイグが6代目ボンドをやっている現在の人気は好調のようです。それはひとえに限界に挑戦し続けていることがクオリティの改良につながっていることの幸福な証左でしょう。
今作はかなり『ダークナイト』っぽいという声が多いです。それは,
(1)主人公側の負の遺産(それまでのシリーズの文脈を含む。『スカイフォール』ならそれまで自国のスパイ達を戦地に送り時に死なせてきたMの自意識、『ダークナイト』ならそれまで「正義」を盲目的に信じていたアメコミの歴史。)について正面から取り組んでいる
(2)悪役のアナーキーさ。(今回のハビエル・バルデムもわざと捕まってさらに主人公側を混乱に陥れたりするのは多分ジョーカーの影響だよね…?)
などがあるからでしょう。この要素はそれまでの英国紳士が世界回って女抱いて世界救ってハッピーという単調なアクション路線とは違った、内省的なエンターテイメントであることを示すものです。9.11以降、直感的な単なる懲悪勧善では社会の暗い部分にさらにズブズブはまっていってしまうという構造的毒性を認識するためこの内省性は支持されていると考えていますが、その「重い」印象は、恐らく今回でキャストを大幅に入れ替えることについての誠実な答えからきているものと感じました。自らの存在理由すら揺るがしかねない相手に対峙する緊張感をうまく物語のエンジンに転化しており、自分達が築いてきた過去に向き合った上で新世代にバトンを渡すという意志をしっかり感じるところが今作の一番の素晴らしい所ではないかと思います。
シリーズお決まりのエンドロールでの"James Bond will return"は、次作タイトルこそ無かったものの、シリーズ50周年記念ロゴの下にあったので「次の50周年も戻って来続ける」との意味だったのでしょう。そんな大げさなメッセージも説得力を持ってちゃんと響いてくるような快作でした。
今回の主題歌はAdeleなんですねー。映像も含めあのオープニングは最高でした。”This is the end.”とかいきなり歌い始めたときはメロディがまんまなんでてっきりあの曲かと思いましたが…