Jaga Jazzist 東京JAZZ2012 9/8 @東京国際フォーラム

・剥いても剥いても重層的。

Jaga Jazzistが無料で観れる!とあって東京国際フォーラムに行ってまいりました。
第18回 東京JAZZ|2019年8月30日(金)・31日(土)・9月1日(日)
当日は熱帯夜ともいうべき9月のじめっとした空気。30分くらい前に会場に着いて「早く来すぎたかな…」と思ってたら既に待っている人がそこそこ居て、しかも演奏直前になると道が通れなくなるほどの人出。グループの人気を感じました。

演奏する前から既に汗だくのメンバーがテント内に出てきて開始。リハーサルの時点からこちら側でも感じていたのですが,パフォーマンスの全体を通じて,メンバーが音響に苦戦している様子が見て取れました。エレクトロニカは音響の幅の厚さがモノをいう音楽であるともいえるため,彼らにとってはこの状況は致命的だったかもしれません。

しかしこの状況下の中で,このグループが内包しているもの,各々のメンバーの出す音が目指しているものが如実に出すことになったと感じました。

例えば,リスナーとしてポップ・ミュージックを聴く際,私はある程度「一体感」のようなものを想定してその音楽に触れています。それはロックバンドに対しては「グルーヴ」とか一体感とかで山下達郎井上陽水などにとっては強く民族性・全体性を感じさせるものです。いわば出汁の効いたスープのように味わうものとしての音楽。音と言葉が織りなす一つのイメージに頭を浸すことで得られる快感がポップミュージックの核部分であると思います。

しかし今回のJaga Jazzistの場合はどうだったか?音域の調整がうまく行かなかったことが逆にこのバンドの雑食性を顕にし,彼らの音楽の位相ともいうべき側面がよく見てとれ,それが一層興味深いものとしていました。録音された音源ではポップさが際立つこのグループですが,今回起こったズレは,結果的にこのバンドの一筋縄でいかない部分をプレゼンしていたように感じました。全体性が機能不全を起こしたために見えてくる,あまりにもカオティックな音楽構造。

ドラムがキース・ムーンまんまなところにロック,キーボードの重層的な音はエレクトロニカ,背後で鳴っている電子音のビートはスクエアプッシャーの影響を強く感じさせるドラムンベース,哀愁を感じさせるヨーロッパ的なホーンと,曲を聴いている中でこのバンドが持っている音楽性の骨組みが変化をしつつ透けて見えるような感覚を受けました。音の各要素がカチッと合わさる快感こそなかったものの,曲ごとに各メンバーが楽器を変えつつ,PAに悪戦苦闘する彼らが目指しているものが,小気味よいオシャレ音楽のような単純なものではないということが伝わってくるものでした。

ラストのOslo skylineは,演奏の熱量を持ちながらも,キーボードの音色が我々を空へと誘うかのように幻想的で,熱帯夜の9月の日本の夜をカラフルに彩り観客である我々に北欧からオーロラを届けてくれたかのようでした。至福の時間だったなぁ。