『許されざる者』

まいどまいど。

一年くらい前だったか、『グラン・トリノ』を観たときに「いやー『グラン・トリノ』よかったわーマジクリントイーストウッド男だわー」とか言ってたら映画通の友達に「いや『許されざる者』観ないでイーストウッド語るなよマジ初心者がプゲラ」とか言われたのが深く心に残ってまして、じゃあ観てやろうかと思い今頃になって名作と名高いソイツを観てみましたよ。

許されざる者 [Blu-ray]

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面白かったです。昔は暴れん坊として鳴らしたが今は死んだ妻が残した子どもと共に慎ましく生活している男が、ある町で乱暴された娼婦の話を聞き、その残虐さに憤ると共にその犯人にかけられた賞金を子どものために残そうとして倒しに行く話ですね。


「最後の西部劇」とのキャッチコピーがなされているらしい本作ですが、何故そのような名前が付けられたかがよく分かるようになっています。西部劇といえば悪いインディアンがいて、そいつらを派手にぶっ飛ばすガンマンが出てきて全てが万事解決…というパターンの話がインディアンに対する偏見を生むものとして糾弾されてきたのはご存じの通り。今作は西部劇に数多く出演してきたクリント・イーストウッドがその罪を感じ取っていたためか、全体を通じて重苦しいムードが漂っています。ハリウッドの負の歴史に対してケジメを付けよう、という心意気が感じられました。そしてこの構造はかつて原住民であったインディアンを追い払って居住地を得たアメリカの民族の歴史とも相関するものであり、アメリカ人の原罪感覚=共同体意識を表現してきた彼の一つの役目なんだな、ということを思いました。

ちょっと印象的だったのが、敵役の保安官が街を制圧している様子です。敵役は敵役らしく嫌らしい奴と演出されるわけでして、この映画においてもイングリッシュボブというキャラを痛めつけたり娼婦たちを厳しく尋問したりしてその嫌な奴性が存分に発揮されています。しかしボブが捕まえられるのは法律のある街に銃を持ち込んだからでありますし、娼婦を追い詰めるのは街の規律を守るためであって、そこまで非道なことをしているかと言われるとぶっちゃけそこまではしてなくね、という印象を受けました。ちょっと前に「暴力装置」という言葉が流行りましたが、共同体の治安維持のためにはどこまでの暴力が合理的なものとして認められるのか、という問題につながりそうですね。そしてこの善悪の価値観の不安定さがこの映画に凡百の勧善懲悪映画にはない緊張感をもたらしていると感じます。

黒人の相方と一面の麦畑を夕陽が沈む中馬に乗って並んで走っていくシーンが、そこでかかる音楽共々素晴らしかったです。カントリー調のメロディで、アメリカーナを想起させるアーシーなアコースティックサウンドがかかった時何ともいえない郷愁感に捉われてしまいました。クリント・イーストウッドが音楽面においても関わっているらしいですが、現代のアメリカ観を形作っている一番の黒幕はイーストウッドなのかもしれません。ジム・オルークが彼に対してどのような印象を持っているのか聞いてみたいところ。

20世紀に良くも悪くも最前線を走り続けた国家であるアメリカ。その地でアメリカ人の原罪観念をえぐるかのような映画を作り続け、何世紀もない新しい国の魂の基盤、すなわち「アメリカ性」を問い続けたクリント・イーストウッド。この映画は彼の作家性が良く出ている、最高傑作の一つではないでしょうか。