ジョージ秋山『銭ゲバ』

お久しぶりでございます。

昨日仙台に旅行に行ってきました。まぁ22歳にもなってお年玉もらってちょっと懐に余裕が出来たからとか、自分が日本で一番好きなバンドであるモーサムが仙台でライブをやるとかがあってじゃあ卒論も終わって時間も余ってるから行くかということで行ってまいりました。まあまあ楽しかったです。*1

で、そのライブが始まる前に時間が空きまして、それじゃここの古本屋巡りでもするかなと思い車を走らせて地元のブックオフに入った所、前から気になっていた『銭ゲバ』があったので読んだら面白くて一気に読んでしまいました。

銭ゲバ 上 (幻冬舎文庫 し 20-4)

銭ゲバ 上 (幻冬舎文庫 し 20-4)

銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)

銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)

で、以下感想。

上巻はすごく面白かった!貧困であった少年時代の経験から銭が全てという考えをもって悪に手を染めていく主人公の話ですが、その信条を実行していくなかで心の中にまだ残っている人間らしさをどんどん殺していく過程がスリリングで目が離せません。次々と襲いかかって来る心理的限界は読んでいるこちらをも巻き込んで拡大していくのがわかる。あと彼が追い求めているものがもう一つあって、それが「美」なんですね。上巻最後の女子高生の話は、その真実の美が自らの金の思想により汚されてしまった瞬間が描かれておりその結末は俗悪ながらもどことなく心にくるものがありましたね。

夢中になって上巻を読んだ割には下巻は単なる政治闘争に終始していてイマイチのめりこめず、最後のシーンも説得力が無いなと思ってしまいました。「銭が全て」という信条を持ちつぎつぎに悪行を重ねる主人公の姿は理論的には一貫していながら心の葛藤があるという矛盾したものですが、しかしその葛藤はそれを読む読者にとってはリアリティがあってとても活き活きしたものでもある。一生を通じて欲望に身を任せたら人はどうなるのか?その果てを覗いてみたかったという気持ちもあってか最後が夢想というどちらかといえば陳腐なもので終わってしまったのは残念。落ち着くところに落ち着く結末であったとしてももうちょっと説得力が欲しかったなーというのが正直な感想。

どことなくドストエフスキーっぽさを感じるな、と思っていたら作者が『ドストエフスキーの犬』だの『聖書』といったタイトルの本を書いていることを知ってああやっぱりか、と(笑)個人的なファンである遠藤周作の作品にも顕著ですが、人間の生とは何なのか、ということについて考えると結局は宗教的なものにいきついてしまうことは多々あることなんだなー。自分も人間が存在しかつその人が他者について同じようなことを考え、同じような言語を話し、同じような感覚を持ち、同じような生活をしている、と信じる場合そこには信仰的なものが存在しなければならないと考えるたちなのでこの辺の感覚はかなりわかる所でもあります。

絵の感じとしては、確かに70年代の漫画ということもあってコマ割だの演出だのが今の漫画の感じとは違っていて戸惑うことも多いのですが、逆に今の漫画には現存していないような映画的な感覚を受けることもあってそこまで苦にはならない。むしろその表現の微妙さを差し置いても人々をひきつけてやまない根源的な”何か”がこの漫画にはある様に感じられ、それがまたページを進ませる。近年ドラマ化されましたが、細かいところを修正した上で今の時代にこの物語をつきつけてやりたい、という思いを制作側が抱くのもわかる気がしますね。

*1:帰りの高速道路がパッキパキに凍結してて死にかけたけどな!